自分を生きる人生マップにモラトリアムと自己実現と

エッセイ-そのヒクラシ

もしかしたら、人生を折り返したのだろうか。新たな人生のステージの到来を、強烈に感じたことがあった。あと一か月半で43歳になろうとしていた、昨年の夏前のことだ。母が生前に飼い、私たち夫婦も愛した愛猫の火葬の最中にそれは起こった。

その時、私はこれまでの43年弱の人生と同じだけの時間を、これからの私のために確保した。これからの43年間、自分の人生を生きよう、自分を生きようと心に誓ったのだ。

あれから半年が経った。今はまだ次のステージへの移行期にいることに今更ながら気づく。あの時には強く感じられた新たな人生の到来だったが、片足は踏み入れてはいるもののもう片方の足は未だこれまでの人生に据え置くという、決して楽ではない体勢、そんな状態。そんな今だからこそ、楽しみたいことがある。人生のマップを書き記しそう。

43歳移行期を起点にし、それ以前の時期をモラトリアム期としよう。つい最近まで私は、自らをモラトリアム人間であると考えてきた。モラトリアムとは、エリック・エリクソンの理論による自己同一性の確立のための「心理的猶予期間」、自己探求の期間だ。

私はモラトリアムを拗らせていた。思い返してみれば、子供時代の私は早熟だった。だが、それは見せかけだけのもので、十分な発達をすっ飛ばして大人の階段を駆け上ってしまったこともいけなかったのかもしれない。青年期の発達課題に躓いて、十年も二十年もモラトリアムを延長し続けた。ここから抜け出せずに藻掻いてきた半生だった。

次、43歳移行期を起点としたそれ以後、86歳までの人生を自己実現期とする。もちろん、あと43年間生きられるかどうかは知らないが、あるのだとしたら86歳までの人生は、自分の人生を生きる私を謳歌したい。

自己実現は永遠のテーマだ。自己実現と聞くと、成功すること、何者かになることというイメージを持たれる方も少なくないと思うが、私は内面的成長の追求を含んだ心理学的意味での自己実現を目指していきたい。(もちろん、成功もしたい。)

人間の欲求には、生理的欲求 、安全欲求 、 所属と愛情欲求 、 承認欲求 、 自己実現欲求の5段階の階層がある。アブラハム・マズローの欲求5段解説だ。自己実現欲求はピラミッドの最も高い位置にある。自分の才能や可能性を最大限に発揮することで、自己実現の欲求は満たされるのだ。

では次、もしももっと生きられるのだとしたら、86歳以後を自己超越期とする。もちろん、86歳を待たずしてこのステージに移行できるのだとしたら、大変よろしい。とはいえ、このステージは敷居が高い。自己実現を卒業して初めて手に入れられるのだから。それまでの自己成長の成果が試される。

マズローは晩年、自己実現の上に 「自己超越」 があると発表した。私はできることならこの人生の余生を、この自己超越に充てたい。なんて、図々しいにもほどがある。高望みしすぎだ。だとしても、そう思うことには何の問題もないし、むしろ自己超越を望むことは望ましいことのはずだ。どの魂もいずれはこの段階に行きつくことを目指し、生を受けるのではないだろうか。

そんなことを一人悶々と考える何にもならない人生を生きてきた。そんな私は、いったい何をするためにこの世に生まれてきたのだろうか。自己超越や自己実現といった抽象的なものではなく、具体的な答えがあれば、なお良いのだが。詳細は未だ霧の中。

ざっくりとした人生マップだが、人生の主軸となる指針ができて満足だ。改めて、誓い直そう。私は自分の人生を生きる。自分を生きる。

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