何故にルーティン?空を眺めて答えてみた

エッセイ-そのヒクラシ

一体何故にそんなにも、ルーティンを遂行することに躍起になっているのだろう。私は理想の生活を送るべく自らに提示したパターン化された日々を、着実に積み重ねていくことに邁進している。決まった時間に寝ること、食べること、入浴すること、朝起きることはこの季節では最も難しい。だがそんなにも逸脱してはいない。いつだって、十分な睡眠をとり終え満足して目を覚ます。体を起こす時間が理想より少し遅いだけだ。

一日のルーティン、週、月のルーティンの目的の殆どは、健康で元気でいつもご機嫌でいることだ。では何故、健康で元気でいつもご機嫌でいることが必要なのか、そう問われれば、健康で元気でいつもご機嫌なら周波数が上がるでしょ、そう答えるのかもしれない。では何故、周波数が上がることは必要なのか。何故?何故?と突き詰めていくと、ゆるぎない幸せ、という回答に行きついた。私はゆるぎない幸せを求めているのだ。一体何故にそんなにもルーティンを遂行することに躍起になっているのか、その答えは、ゆるぎない幸せのためだったのだ。

こうやって抽象度を上げていくと、自分が求めている本質が明らかになる。逆に抽象度を下げていくことも面白い。ゆるぎない幸せはどうやったら得られるかと自分に問いかけてみる。答えは、意識レベルを上げるだ。これは一朝一夕には難しい。では、どうやったら意識レベルを上げることができるだろう。今ここにある、ではどうだろう。または、周波数を上げる、もいいかもしれない。これならまさに今ここから、一歩一歩前進することが可能だ。さらにもう一声となれば、健康で元気でいつもご機嫌でいることが周波数を上げる、とここに帰結する。

私の言う、ゆるぎない幸せ、というのは、何にも曇らされることのない全き幸せであって、それは自己超越に等しい。これはあまりに大き過ぎる野望であり、顕在意識は完全にひるんでいる。では、周波数を上げるではどうだろう。十分な親近感を感じることができる。私は自分の掲げた理想の生活を送ることで、健康で元気でいつもご機嫌でいて、尚且つ周波数を上げていることを、肝に銘じよう。というのも、木を見て森を見ず、にならないためには、こういったメタ認知が大切だ。健康のためとはいえ、周波数を下げるようなことになってはいないか。いつもご機嫌でいようと無理して自分を騙したりしてはいないか、もしそうであれば周波数は上がらないどころか下がるのではないか。そんな自問自答もできる。

私は真面目なのだ。真面目過ぎて疲れてしまうことも無きにしろあらず。それでは周波数を下げてしまう。とはいえ、今のところ上手くやっている。私の周波数は上がっているに違いない。私は幸せだという確信があるのだ。であるなら、周波数はもちろん、意識レベルだって微々たるものだろうが上がっている、そうに違いない。このような自信を持てるようになったのはいつからだろう。ごく最近だった気がする。もう過去のことはよく思い出せない。思い出す必要もないのだろう。空を眺めていると、何もかもがどうでもいいことに思えてくる。きっと、ゆるぎない幸せはこの一瞬の中にある。

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