新しい年の始まりに一年の目標や心がけを掲げることなど、これまでしたことがあったような、なかったような。確かにしたことはあった気はするが、それがどんなものだったかなんて記憶に残っていない。その年の終わりまで新年に打ち立てた目標をしっかり覚えていたことなど、一度たりともなかった。
新年の抱負とはなんて儚いものなのだろう。覚えてすらいられない。であれば当然、その目標を果たすことなんて、まず、できない。私の新年の抱負とは、なんてお粗末なものだったのだろう。
とはいえ、新しい年が明けたともなれば、旧年中のことなんて全て帳消しだ。いくらでも新たな気持ちで、抱負を立てることができるのだ。

いつも通り布団の中でうだうだと体を起こすのを先延ばししていた元旦の朝。不意にある言葉が湧いて出てきた。
「やりたいことをやる」
自分の心の中で他人のごとく、突然の意志表明をしてのけるもう一人の自分という存在の発露に少々驚くも、その辺のことは軽くスルーし、自問自答は繰り広げられた。
なるほど、自分ではやりたいことをやっているつもりだが、これが意外にもできていなかったことに気づく。やりたいことを先延ばしにしてしまうことなど、しょっちゅうだ。後からでもやるならまだいいが、そのまま封印してしまうようなことも当たり前に起こる。「やりたいことをやる」を意識すべきこと、心がけるべきこととして、心に留めておく必要性を大いに感じた。
そこに間髪入れず再び不意に現れ出てきたのが、
「やるべきことはやる」
だ。これは、頭が痛い話だ。やるべきことから逃げては逃げ切れず消耗してきた自分を、容易に思い出すことができた。どうせ逃げられないのだから、腹を括ってさっさとやってしまう方がいいに決まっている。こちらもまた、心に留めておこう。

不意にやってくる意志表明はここで終了した。ベッドからようやく這い出て、これもやるべきことの一つなのだろう、一日を始める。しかも、この日は元旦だ。とはいえ、いつも通りの朝を迎えた。いつも通り夢うつつ、トイレに腰掛けながら思考活動にハマる。先ほどの続きを模索していたのだ。自力で絞り出してみたのだが、これが意外にもしっくりきた。
「やりたくもなく、やるべきことでもないことを、やらない」
これは、私にとっては大発見だった。実はここしばらくの間私は、人間関係に疲れきっていた。私はここ数か月、過剰なまでに他者(ある特定の)の期待に応えようとしていたことに気づいた。また、他者(同一人物)にのめり込んでいた空虚な自分に気づいた。

自分をアップデートしようと試みた。そのためにまず自分に課したのが、「他人の期待に応えようとしない」だ。続いて、「自分軸で生きる」だ。もう一つ、「自分ファースト」だ。
自分軸で生きる!?自分ファースト!?なんだか大そうな響きで少し怖気づいてしまう。私にできるだろうか。できるできないではなくやってみろと叱咤したいところだが、それこそ、やりたければやればいいし、やりたくなければやらなければいい。
そもそも、他人の期待に応えようとしたければ応えようとすればいいし、応えようとしたくなければ応えようとしなければいい。これまでだって、応えたかったから応えようとしてきただけだった。だが、他者の期待に応えようとしないと、あえて決めたのには訳がある。もうやりたくないと私の心と体が悲鳴を上げたのだ。決めないければ、いつの間にか私は情に流されほだされてしまうだろう。そうでなければ、次のステップには踏み出せないと思った。

他人の期待に応えようとしないとしながらも、自分のために行う行為が、同時に他者の期待に応える行為となることもある。それが、相手の手中にはまっているかのようで悔しく、心を苛立たせた。年の瀬、もうこれ以上は無理と折れかけていた私に待ちわびていたのは、そのような精神のもう一波乱とともにやってきた決着の時だった。私はやるべきことをやり、なんとか事を終わらせることができた。とはいえ、その後も、後から後から苦々しい感情が押し寄せてきては、いつかは過ぎ去ることだけを信じ辛抱した。
この件に関しては、なかなかスッキリしない。自分軸による回答であったし、ひいては自分ファーストだ。私は決して、他者を優先したわけではない。だが、一見すると他者ファーストだ。自分軸のない決断であったかのようにも見える。だが、私は他者の期待に応えるためではなく、私のために、私の断固とした決意のもとに行動したのだ。なんだか言い訳がましくなってしまった。自分軸とは、なかなかもって手厳しい。

こんな私にうってつけだろう。「やりたくもなく、やるべきことでもないことを、やらない」は、わかりやすい。やりたくもなく、やるべきことでもないことをやらないのだから、他者の感情の責任など負いたくないし、当然他者の感情の責任を負うべき、そんな法はないのだから、私は他者の感情の責任を負わないと決めた。そう、「やりたくもなく、やるべきことでもないことを、やらない」は、このように使う。
ポイントは、やりたくもなく、やるべきことでもないことを、やらなくてもいい、ではなく、やらない、という決意にある。ここに、私にとっての自分軸となり得る確固とした意志が表されている。
「やりたいことをやる、やるべきことはやる」だけで済みそうだが、それでは済まないのが、他人を軸としてしまいがちな人間なのだ。私の自分軸はブレブレだ。他人の期待に応えるために、やりたくもなくやるべきでもないことをやってのけては、失敗してきた数々の過去がある。大方の場合、やった後になって初めて、やるべきではなかったことに気づく。「やりたくもなく、やるべきことでもないことを、やらない」という指針があることで、やらないことを見誤らなくて済むだろう。

物事をやりたいか、やりたくないか、で、まず分類する。やりたくないに分類された物事をさらにふるいにかける。やりたくないがやらなければならないか、やりたくもなくやるべきでもないか、に分けるのだ。実際このジャッジを下すのは、物によってはかなり難しい。一時保留の枠が必要となることもあるだろう。とはいえ、格段に迷うことは減るはずだ。雑然とし混乱しがちだった私の頭の中は整理され、余白が生まれたような清々しさを感じている。
「何をやるかよりも、何をやらないかが重要だ」と聞いたことがある。やましたひでこさんの『断捨離』からも学ばされることは非常に多い。やりたくもなくやるべきことでもないことをやらないでい続けたら、この先私はどんな自分になっているだろう。なんとも明るい気持ちにさせてくれるではないか。我ながら元旦からいいことを思いついたものだ。
それでは改めて、令和八年、新年の抱負を掲げる。「やりたいことをやる。やるべきことはやる。やりたくもなくやるべきことでもないことをやらない。」これを、やる。


